『人生を<半分>降りる』
中島義道著
『人生を<半分>降りる 哲学的生き方のすすめ』
ナカニシヤ出版 1997年5月20日 232頁 1945円
著者がこの書評を見たら、おそらく「書評などという時間の浪費はやめて、人生最大の謎、即ち、自分が死ぬというのはどういうことかについて考えなさい」と厳しく叱責するような気がします。
が、ちょっとだけ、私に浪費させてください。というのは、この本を読んで「自分がやがて死ぬというのは、いったい何なんだ」という私自身の20歳の頃に苦しみに苦しんだ悩みが突然蘇ってきたからです。
それは、著者が本書で批判しているような「『今存在している私がまもなく死ぬ』というこの恐るべき謎を傍らに押しやって、膨大な時間をこれとは別の『一般的なこと』に費やし、そうすることによって、すぐ傍らにあるこの最大の疑問を綿密に覆い隠してしまう」生活をだらだらと送ってきた自分自身へのいらだちでありますが、しかし同時に、今からでも遅くない、残りの人生を著者の言うように、できるだけ世俗的虚飾をはぎ落として生きていきたいと思うようにもなりました。
本書で容赦なく批判されているように、この国には哲学研究、つまり、著者のいう「ゴミの山」は掃いて捨てるほどあり、いっこうに減る気配はありません。
著者も50歳を迎えた時「私は20歳のとき、『死ぬ』ことを解決したいために哲学を一生の仕事として選んだのですが、その時以来、何も本当に解決していないこと、そして、その間、30年の時間が経っていることに愕然とし」、カント学者としてその業界で認められるために「ゴミ」の生産をしてきたことを痛切に悔やんでいます。
したがって、著者にとって「人生を<半分>降りる」とは、このようなゴミの生産をする「哲学研究」から抜け出し、「哲学する」生活へと入ることで、そのためにこそ<反隠遁>生活が必要なのであり、この場合の<半隠遁>という語には、世間とできるだけ妥協せずに生きていくという著者の固い決意が現れていると思います。
その著者が始めた哲学道場「無用塾」は、西洋哲学の古典を原書片手に翻訳で正確に読んでいく作業を続けるだけで、いかなる素朴な質問も受つけ、いかなるシツコイ議論も妨げないが、哲学研究者になるための指導は一切しないという塾だそうで、素朴な質問は受けつけず、哲学研究者になるための指導にのみ明け暮れてきた日本の哲学界から見れば、異端も異端でしょうが、これこそ言葉の真の意味での「哲学する」ことになる場所ではないでしょうか。
補記:
文庫本が出版されています。
中島義道著
『人生を<半分>降りる 哲学的生き方のすすめ』
新潮OH文庫 2000年10月10日 292頁 610円
Amazonはこちらです↓
人生を“半分”降りる―哲学的生き方のすすめ
『人生を<半分>降りる 哲学的生き方のすすめ』
ナカニシヤ出版 1997年5月20日 232頁 1945円
著者がこの書評を見たら、おそらく「書評などという時間の浪費はやめて、人生最大の謎、即ち、自分が死ぬというのはどういうことかについて考えなさい」と厳しく叱責するような気がします。
が、ちょっとだけ、私に浪費させてください。というのは、この本を読んで「自分がやがて死ぬというのは、いったい何なんだ」という私自身の20歳の頃に苦しみに苦しんだ悩みが突然蘇ってきたからです。
それは、著者が本書で批判しているような「『今存在している私がまもなく死ぬ』というこの恐るべき謎を傍らに押しやって、膨大な時間をこれとは別の『一般的なこと』に費やし、そうすることによって、すぐ傍らにあるこの最大の疑問を綿密に覆い隠してしまう」生活をだらだらと送ってきた自分自身へのいらだちでありますが、しかし同時に、今からでも遅くない、残りの人生を著者の言うように、できるだけ世俗的虚飾をはぎ落として生きていきたいと思うようにもなりました。
本書で容赦なく批判されているように、この国には哲学研究、つまり、著者のいう「ゴミの山」は掃いて捨てるほどあり、いっこうに減る気配はありません。
著者も50歳を迎えた時「私は20歳のとき、『死ぬ』ことを解決したいために哲学を一生の仕事として選んだのですが、その時以来、何も本当に解決していないこと、そして、その間、30年の時間が経っていることに愕然とし」、カント学者としてその業界で認められるために「ゴミ」の生産をしてきたことを痛切に悔やんでいます。
したがって、著者にとって「人生を<半分>降りる」とは、このようなゴミの生産をする「哲学研究」から抜け出し、「哲学する」生活へと入ることで、そのためにこそ<反隠遁>生活が必要なのであり、この場合の<半隠遁>という語には、世間とできるだけ妥協せずに生きていくという著者の固い決意が現れていると思います。
その著者が始めた哲学道場「無用塾」は、西洋哲学の古典を原書片手に翻訳で正確に読んでいく作業を続けるだけで、いかなる素朴な質問も受つけ、いかなるシツコイ議論も妨げないが、哲学研究者になるための指導は一切しないという塾だそうで、素朴な質問は受けつけず、哲学研究者になるための指導にのみ明け暮れてきた日本の哲学界から見れば、異端も異端でしょうが、これこそ言葉の真の意味での「哲学する」ことになる場所ではないでしょうか。
補記:
文庫本が出版されています。
中島義道著
『人生を<半分>降りる 哲学的生き方のすすめ』
新潮OH文庫 2000年10月10日 292頁 610円
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